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収蔵写真・資料

防空演習

戦時中の武蔵小金井駅東側踏切手前の防空演習 早川昇提供 (小金井市文化財センターより)戦時中の武蔵小金井駅東側踏切手前の防空演習 早川昇提供 (小金井市文化財センターより)

戦争の記憶とは暮らしの記憶でもあります。戦争中の小金井市民の暮らしはどうだったのでしょうか。隣の武蔵野市では、戦況が悪化して昭和19年(1944年)11月24日には、ゼロ戦のエンジンを製造していた中島飛行機武蔵製作所が初空襲を受け、9度の空襲で多くの被害が出ました。

空襲の被害に備える「防空法(ぼうくうほう)」は、空襲は怖くないと都市からの退去を禁止し、焼夷弾が近所に落ちれば逃げずに消せと命じました。2000℃も発する消せるはずのない焼夷弾に立ち向かい多くの人々が亡くなっていきました。

小金井には大規模な空襲はありませんでした。(小金井市史通史編602P~605P)